
今回の画像は安曇野ではない。
12月は拉致問題を考える月である。
北朝鮮では自国のことを「朝鮮」または「共和国」と呼ぶ。
韓国において「朝鮮日報」などのある特定の名称を除いて
日本人の口から朝鮮という言葉が発せられるのを嫌がるの
とは対照的だ。
それでも外国に対して自国を説明する場合に、
両国とも南北を含めた意味合いで「我が国」と
表現するところは同じだ。
朝鮮に旅行経験のある私は多くの面において朝鮮に好意的だ。
しかし
メディアの発表するところによると、
日本人の大半は朝鮮に対してよい印象をもっていないらしい。
独裁国家であるとか拉致問題とか。
私の朝鮮についての印象は冷麺がうまかったことと、
ゴミが見あたらなかったなあということだ。
人については、やはり彼ら自身何らかの苦悩を抱えているように
私には見受けられた。
拉致問題は難しい。
日本では親が娘に会いたいと切実に語る言葉が
ストレートに伝わってくるので多くの人の共感を呼ぶ。
ところが日本の植民地支配を受けた歴史を持つ
中国や韓国が
拉致という点において日本と同調しているとは言い難い。
時間と状況の違いはあるにせよその被害者数は
こちらが10数名であるのに対しむこうは100万名以上。
そして南北分断と独裁国家誕生の大きな要因に
日本がなったということもある。
拉致は南北休戦中のスパイ活動を目的として発生した。
したがって拉致問題を完全に解決するには
先ず南北を統一する必要があるのではないだろうか。
世論のゆえに制裁を口にしながらも、
多くの政治家が先を争って北朝鮮と接触しようとしている。
アメリカの外交政策の失敗が明確になった今、
北朝鮮を生殺しにするよりも、生かして転換させたほうが早い。
「急がば回れ」
そのために日本が出来ることはいくらでもある。
「人にあることをしてもらいたいと望むならば、
まず、その人のためにやってあげることだ」
ところが民主主義の日本で、戦後60年経った今でさえ、
虐殺は無かったとか、慰安婦は強制では無かったとか、
とぼけた考えを持っている人間が残っているということを考えると、
独裁国家の北朝鮮がしらばっくれるのも同じではないかと思える。
日本の戦争のつけはまだまだ残っていると言えるだろう。
それでも親というものは辛い。
血を分けた自分の
子供を思う気持ちに勝るものは他には無い。
「生きている間に会いたい」
という話しを聞くと深刻にならざるを得ない。
頭では国家全体への復讐は何の意味も無いと分かっていても、
自分だったら悪党の支配する国を許すことが出来るのかと
いつも考えさせられる。
そして人生に後悔を残さないようにと身を正されるのだ。